12月4日(日)に京都で、
第7回政策系大学・大学院研究交流大会
http://www.consortium.or.jp/contents_detail.php?frmId=2015
に参加してきました。
京都市内・近郊に存在する10の大学が参加していて、
都市の抱える問題・課題を見つけ、
それを解決するための研究を行う学生・院生の研究発表の場
として2005年度より開催されています。
第28回政策・情報学生交流会で出会った友人が実行委員を務めていた縁で、今回はお邪魔しました。
当日は、口頭発表とパネル発表があり、
口頭発表を2つとパネルは一通り見て回ることが出来た。
こうした政策系の口頭発表のスタイルは
問題提起(なにがどう問題として起きているのか=問題定義)
↓
原因分析(なぜその問題が発生しているのか)
↓
解決策の提示(その問題を解決するためにはどうすればよいのか)
という論で進められていくのが一般的だ。
(論証の細かな部分については割愛します)
しかし、発表を聞いていても、どうも腑に落ちない。
恐らくそれは、表現は悪いが、
「口だけ」の政策案だという印象を受けてしまうからだと思う。
これは全くの私見であるが、
学生の論文発表の場において、
政策の実施主体が不明確であることがほとんどである。
これは学生が政策立案する際の弱点でもあって、
ビジコンの場合、ビジネスプランの実施主体は一人称と考えられていることが多いが、
(このプランをもとに起業してやるぞという熱意を感じる)
政策立案の場合、実施主体が国なのか自治体なのかNPOなのか企業なのか個人なのか、
そのあたりが考慮されずに理想像だけが掲げられて、発表終了というものが多く感じられる。
その対処法として、
一つは問題に対するアプローチ方法を限定せずに、
あらゆる実施主体からどのような解決策を洗い出すのも面白いと思う。
こういった立場の人からは、こうした解決が図れるという提案が
網羅的に発表されていれば、それは優れた政策案と言えるかもしれない。
しかし、ここで僕が書きたいのは、
実施主体に「私」をもっと盛り込むべきではないかという点だ。
この視点が入るだけで、政策案の実現可能性がぐっと上がると考える。
また、社会問題と「私」の接点が見えることで、
聞き手にとっても無関係な問題ではなく、身近に感じられる。
ビジコンの場合、考えたプランをもとに提案者が実際に起業したり、
プランが現実社会において実践されるケースが多いが、
政策コンテストや政策発表の場で提案された政策を、
これから「私」が実現させます!という意気込みを見かけることは、まずない。
ここで言う「私」とは、決して現時点の「私」だけではなく、
将来的な意味の「私」でも構わないが、
(この政策案をいつか、私が実現させますという決意表明)
問題提起をせっかく行い、困っている人達がいると言うのではあれば、
『「私」が解決させてみせます。』
と発表する人が出てきても良いのではと思った。
僕自身が政策系のワークショップを設計する際は、
当事者意識を持ってもらうことを念頭に考えていて、
「私」や「あなた」がキーワードとして頻繁に出現する。
第32回 政策・情報 学生交流会も、そういった想いのもとでの開催だった。
学生は、社会経験の少なさから、どうしても問題意識の醸成という部分が弱い。
それを補っていくために、社会問題と自分との接点を考えてみること、
ニュースで流れている「問題」に対して、
自分にはなにができるだろう?という視点を持つだけで、
社会に対する見え方や問題意識は相当変わってくるはずである。
千葉市の熊谷市長の講演を聞いた際に、
今日の朝起きてから、どんな場面で行政が関わっていたか想像してください
という問いを投げかけてくださったことがあった。
水道もトイレもゴミ出しも道路も信号もバスも電車も大学も
普段意識していないだけで、社会との接点は無数に存在する。
自分達が暮らす社会の中で、何ができる?と考えることや
政策案に「私」の視点を盛り込むこと、
ただの提案に終わらず、実現を見据えた政策案を考えること、
時間をかけて作成した論文に、最後にもう一つスパイスを足すことで、
血の通った政策案となる。少なくとも僕にはそう感じる。
その点、
第7回政策系大学・大学院研究交流大会の学生企画で
「防災から考える若者の地域参加」というワークショップは面白かったです。
学生は、地域のことを知りたい!
地域の人は、若者に地域に入ってきてもらいたい!
この両者の考えをうまく合わせるには、と考えさせられる時間でした。
かく言う前に、
「私」の視点を入れて、早く卒論を書きあげなければ。。
僕から以上。
全く同じことを思いますね。
返信削除https://docs.google.com/document/d/17nWcNHh3axYIUoQFSESY8bwNR8CRbG9FZ3HzuQ-iCHc/edit?hl=ja
これはその「私」視点を最も重要視しながら、今後の自分がどういった政策をしていくかを明確に書いた斉藤大地さんっていう人の論文です。
彼の思想は、僕が交流会というものを考えるために重要なファクターだったことは間違いないです。
彼は卒論にも書かれてある通り、この論文を通してドワンゴに就職して日本を変えていくことを宣言しているあたり、読んでいてワクワクしますね。
ちなみに僕は、「問題に潜むパラドックス」というテーマで、そもそも「問題」って何なんや、それはほんまに問題なんか?っていうことをプロパガンダ(洗脳)っていう視点を通して分析した卒論を書きました。
ここにともや書いている、「そもそも(主体が明確になっていない点で)本質的じゃない」と同じようなこと、簡単に書くと「問題と認識している個人個人の中に、時間性や心理的変化の中において絶えず変わりゆくような問題を社会的問題と認識してしまっては、その時点で矛盾を来してしまうんだから、総政のようなそういった問題を扱う機関においては、とくにそういった部分に注視して、まず問題に潜むパラドックスを取り除く努力が必要とされるんじゃないか」といったものです。
自分がしっかりと考えて書いた論文は自分の出発点にも成り得るので、楽しんで書いてくださいね。幼稚でもいいと思います。現時点で背伸びして堅っ苦しいことしか書けないやつは、みんな童貞だと思いますよ。
>ぺかとさん
返信削除論文読みました。
公共的空間の設計という途方もない到達点を設定しながら、そこに向けての道筋が具体策を伴ってはっきりと示されている点が非常に面白いですね。衝撃的です。この論文に縛られる日々がこれから続きそうです。
>まず問題に潜むパラドックスを取り除く努力が必要とされるんじゃないか
ぱーちゃんを思い出しますね。
いわゆる社会問題は、個人の問題と構造的な問題の狭間のどの地点にあるのか不明瞭な場合が多くて、構造的でありながら、個人に原因が帰結される場合も、またその逆もあり、混同されたまま議論がされるのは気になっていた点でした。政策系の学生は、そのあたりの議論の順序にも慎重にならなければいけないと思います。
ありがとうございます。
幼稚でも拙くても、自分の論文とともに心中していく覚悟で書ききりたいです。