2011年7月6日水曜日

できるだけ総合政策です


問題解決を行う手段は、学問領域に異なり、
総合政策という学問は、総合的に(ここでは便宜的に総合という言葉を使います)か解決することや、複数の学問領域を統合した解決策を導くことを目指している。

僕が3年夏に参加した問題解決型インターンシップというものでは、
郵便局が抱えている問題をシステムにより解決せよ、という課題であった。

郵便局が行っている業務から、問題設定を行うまでは、政策の領域と変わらないが、それを解決する手段がシステムと言われてしまうと普段行っている解決のアプローチとは異なり、どの問題を解決するかという問題選択から始めなくてはいけない。


総合政策という学問の強みとは、解決策の豊富さであり独創性ではないだろうか。
問題に対して網羅的に解決を図ること、複数の領域を横断して解決を図ること。


普段から問題に対して、そのような糸口の見つけ方をするので、就職活動において壁にぶつかっている。

自分の中で問題意識や目標(夢)があり、その手段として職業を選ぶというのが大方の就活生のステップではないだろうか。


僕自身の中にも、問題意識はだいぶ定まってきて手段を模索している状況である。


解決の手段が一つではないため、業種を絞ることや企業を選択することがとても困難になっている。


極端に言えば、どこでもいいし、どこでもだめである。


そうなると、自分の目標や夢に向かって仕事を選ぶという前提が崩壊していく。
別次元のところで企業を選択を行うことになる。


この分野が好きだから、この業種!
とシンプルに言えることが、ある意味では羨ましい。


と、そんなことを先輩と話していたら、

そういう壁って、誰にでも訪れるもので、
早いか遅いかの違い、
学生時代に悩むか、社会人になってから悩むかの違い
だけだよ

と言われた。





2011年7月2日土曜日

薄っぺらい人生哲学



最近のマイブームです。
何かにつけて、薄っぺらい人生哲学だなーと自分を納得させるのが。


個人の発信する機会が増えてくると、
(自分が目にする発信者の多くが同世代だからか)
今までの自分の人生を振り返って、法則性や真理(⇒人生哲学)
みたいなものを導き出そうとする光景をよく見かける。
Twitterが一気にそれを助長させた。
メールやmixiという媒体で「それ」は余り見られなかった。

たかが20くらいの人間が人生を知ったような顔をするのことに嫌悪感を覚えてしまうんだろうな。
(ほっとけば良いじゃんと言われたら、本当にそれまでなのだが。)


それはきっと小学生の頃、男子って餓鬼ね。と遠目で眺めていた“ませた”女子のように。

自活していない、仕送りや奨学金をもらって生活している人なんて、
大人からしたら、母乳吸って生きてる赤ん坊と変わんねえよ。と一蹴されてしまいそうだ。
そんな「子ども」が知ったような口を聞くんじゃねえ。

そんなことを親切に教えてくれる大人も少ない訳で。
薄っぺらい人生哲学など通用しない瞬間が実社会で訪れるだろうし。

働いていない身分であるうちは、
どこかにその意識をもっていなくてはいけないと思う。
自分は働けていない身分なのだと。


こんなことを書いてるときは特に精神的にひねくれてるとき。

あと、この文章の欠点は、この文章自体が薄っぺらい人生哲学に基づいていることでしょうか。

そんな葛藤に日々悶々としながら、もしかしたら、
今が人生で一番大人になりたいと思っているかもしれないです。

だったら就活しろよ、と、あちこちから聞こえてきそうです。