2011年12月21日水曜日

プロフェッショナルとは



自分と向き合って
自分と格闘して
自問自答して
弱い自分に打ち克って
自分らしく生き続けることが自分に与えられた使命。
自分というかみんなですよね。
そういう意味では、俺はまだプロフェッショナルになれたのかどうか分かっていないというか。
自分の形が見えてきたのか何を始められそうなのか、
そしてそれらをずっと自分に打ち克っていくことで、
プロフェッショナルというものを続けていく。
自分の人生を通して続けていくもんなのかなって。


プロフェッショナル 仕事の流儀より
本田圭祐



これ以上付け加えることが失礼なほど
この繰り返しが、自分との向き合い方において重要なのではないか。
自問自答して悩んで弱い自分に打ち克っていく。
ええ、まさしく。





2011年12月12日月曜日

アラン『幸福論』

NHKの100分de名著シリーズ


11月はアラン『幸福論』だった。

幸福に対する考えは人それぞれで良いと思うので、あくまで参考程度に。
男性的な視点も多いなという印象でした。
(・~ は、幸福論に記されている言葉の引用です。)


本名:エミール=オーギュスト・シャルティエ

高校の教師として哲学を教える傍ら、
プロポ (propos)という哲学エッセイを新聞に寄稿していた。
その中から幸福をテーマにまとめられたものが『幸福論』である。



アランは、人は皆、自分のことを不幸だと思っているという前提に立ち、
・自分が幸福になることが世の中に対しても良いことだ。
と、幸福になることを徳とする一方、
不幸や不満に安住することを戒めていた。



1. 不幸にはどう対処すればよいか?


・自分の不幸の原因が自分にもあることもどこかで気づいている。気づいてながらも目を背けている。

・困難も不幸も本当の原因さえ分かれば、対処法はさほど難しいことではない。

・不幸には必ず原因がある。原因を冷静に見つめることで解決せよ。

・幸福の秘訣のひとつ、それは自分の不機嫌に対して無関心でいることだ。



幸福を手に入れる上で、精神と肉体は切り離せない
・気分に対抗するのは、判断力の役割ではない。そうではなく、姿勢を変えて適当な運動をしてみることだ。

・人は意志して伸びをしたり、故意にあくびをすることができる。それは不安や焦燥に対抗する最良の方法である。


休息、深呼吸、体操、あくび、微笑み
これらは幸福になるためにアランが勧めていた方法である。

それらの姿勢を表わしているのが、有名な一節


・幸せだから笑うのではない、笑うから幸せなのだ。


このように、アランは幸福に対して意欲しなければならないと説いている。



2. 幸福論における情念とは?

情念とは私たち自身であり、私たちを不幸に陥れるものである。
情念は想像の中で膨らんでいく私たちの感情。

自分の感情(=情念)とどう付き合っていくかが重要である。

情念に打ち克つには?
・情念は私そのものであるから逃げることはできない。それに対抗するには意志の力が必要だ。
・悲観主義は感情で、楽観主義は意志である。
・幸福になりたいと思ったら、そのために努力しなければならない。
・喜びは行動とともにやってくる


・人間は行動のない快楽よりも、行動に伴う困難の方を選ぶ。
・行動に没頭できること自体が幸福である。

困難を伴った「行動」そのものが重要であると、アランは説いている。
自分自身の情念に打ち克つには、
強い意志と、努力と、行動が必要である、と。




3. 人生の主役になれ
・幸せになりたい人は、観客ではなく舞台に上がらなくてはいけない。

・どんな職業も自分が導く限りは愉快だが、服従する限りは不愉快である。

・山頂まで登山電車で来た人は登山家と同じ太陽をみることは出来ない。

・ほしいものはすべてそこにある山のようなものだ、。
 わたしたちを待っており、決して逃げていきはしない。
 だからそれゆえ、よじ登らなくてはならない。

幸福とは、人から与えられるものではなく自ら掴みとることである。
・自分の中に幸福をもたない者は、その幸福を他人に与えることができない。




幸福に対して能動的な姿勢を強く求めた、
アランの『幸福論』は、哲学書でありながら実用書でもあった。




「幸福」という概念についても、「自由」と同じように
保障されるべきものであって、且つ獲得すべきものではないだろうか。

公的・共的に肉体の健康が保障がされる分野がある(社会保障として)
一方で、それと同時に
精神の健康に関しては、個人の努力が必要とされる。



「幸せは歩いてこない、だから歩いて行くんだね」
とは、端的に表わされたフレーズですね。



以上、参考までに。
僕から以上!

2011年12月7日水曜日

血の通っていない政策

12月4日(日)に京都で、
第7回政策系大学・大学院研究交流大会
http://www.consortium.or.jp/contents_detail.php?frmId=2015

に参加してきました。


京都市内・近郊に存在する10の大学が参加していて、
都市の抱える問題・課題を見つけ、
それを解決するための研究を行う学生・院生の研究発表の場
として2005年度より開催されています。

第28回政策・情報学生交流会で出会った友人が実行委員を務めていた縁で、今回はお邪魔しました。


当日は、口頭発表とパネル発表があり、
口頭発表を2つとパネルは一通り見て回ることが出来た。



こうした政策系の口頭発表のスタイルは


問題提起(なにがどう問題として起きているのか=問題定義)
  ↓
原因分析(なぜその問題が発生しているのか)
  ↓
解決策の提示(その問題を解決するためにはどうすればよいのか)


という論で進められていくのが一般的だ。
(論証の細かな部分については割愛します)



しかし、発表を聞いていても、どうも腑に落ちない。
恐らくそれは、表現は悪いが、
「口だけ」の政策案だという印象を受けてしまうからだと思う。


これは全くの私見であるが、
学生の論文発表の場において、
政策の実施主体が不明確であることがほとんどである。

これは学生が政策立案する際の弱点でもあって、

ビジコンの場合、ビジネスプランの実施主体は一人称と考えられていることが多いが、
(このプランをもとに起業してやるぞという熱意を感じる)
政策立案の場合、実施主体が国なのか自治体なのかNPOなのか企業なのか個人なのか、
そのあたりが考慮されずに理想像だけが掲げられて、発表終了というものが多く感じられる。

その対処法として、
一つは問題に対するアプローチ方法を限定せずに、
あらゆる実施主体からどのような解決策を洗い出すのも面白いと思う。
こういった立場の人からは、こうした解決が図れるという提案が
網羅的に発表されていれば、それは優れた政策案と言えるかもしれない。


しかし、ここで僕が書きたいのは、


実施主体に「私」をもっと盛り込むべきではないかという点だ。


この視点が入るだけで、政策案の実現可能性がぐっと上がると考える。
また、社会問題と「私」の接点が見えることで、
聞き手にとっても無関係な問題ではなく、身近に感じられる。

ビジコンの場合、考えたプランをもとに提案者が実際に起業したり、
プランが現実社会において実践されるケースが多いが、
政策コンテストや政策発表の場で提案された政策を、
これから「私」が実現させます!という意気込みを見かけることは、まずない。


ここで言う「私」とは、決して現時点の「私」だけではなく、
将来的な意味の「私」でも構わないが、
(この政策案をいつか、私が実現させますという決意表明)

問題提起をせっかく行い、困っている人達がいると言うのではあれば、
『「私」が解決させてみせます。』
と発表する人が出てきても良いのではと思った。


僕自身が政策系のワークショップを設計する際は、
当事者意識を持ってもらうことを念頭に考えていて、
「私」や「あなた」がキーワードとして頻繁に出現する。
第32回 政策・情報 学生交流会も、そういった想いのもとでの開催だった。


学生は、社会経験の少なさから、どうしても問題意識の醸成という部分が弱い。
それを補っていくために、社会問題と自分との接点を考えてみること、
ニュースで流れている「問題」に対して、
自分にはなにができるだろう?という視点を持つだけで、
社会に対する見え方や問題意識は相当変わってくるはずである。

千葉市の熊谷市長の講演を聞いた際に、
今日の朝起きてから、どんな場面で行政が関わっていたか想像してください
という問いを投げかけてくださったことがあった。

水道もトイレもゴミ出しも道路も信号もバスも電車も大学も
普段意識していないだけで、社会との接点は無数に存在する。


自分達が暮らす社会の中で、何ができる?と考えることや
政策案に「私」の視点を盛り込むこと、
ただの提案に終わらず、実現を見据えた政策案を考えること、
時間をかけて作成した論文に、最後にもう一つスパイスを足すことで、
血の通った政策案となる。少なくとも僕にはそう感じる。



その点、
第7回政策系大学・大学院研究交流大会の学生企画で
「防災から考える若者の地域参加」というワークショップは面白かったです。
学生は、地域のことを知りたい!
地域の人は、若者に地域に入ってきてもらいたい!
この両者の考えをうまく合わせるには、と考えさせられる時間でした。



かく言う前に、
「私」の視点を入れて、早く卒論を書きあげなければ。。



僕から以上。



2011年12月5日月曜日

WorldShift KOBEに参加して


12月3日(土)にWorldShift KOBEというイベントに参加してきました。

このイベントは、「学校」をモチーフにして、

「様々な垣根を超えて手と手を取り合って未来へ歩んでいこう」

という想いのもと、
ワークショップスペースや、カッコイイ大人たちのプレゼンテーションなど、
もう一度、自分自身やこれからの日本・世界を考える場として開催されました。

どのような現状を、どのような理想に変えていく(Shiftしていく)
という「意識の変化」がキーワードになっていて、イベントに参加する前から
自分にとってのShiftはなんだろう?と考えながら当日に臨んでいました。


プレゼンテーションの登壇者は、分野はそれぞれ異なるものの、
メッセージとして伝えている部分は共通しているものが多く、

・直線的な時間観から循環的・円環的な時間観へのShift
・自分自身や自然に目を向けることの重要性
・価値尺度を多様に持つことの重要性
・社会に貢献するという幸福感の重要性
・一人一人が世界を動かす意識を持つことの重要性
・自分の知らない世界を知ることの重要性

といったメッセージが投げかけられていました。


登壇者の方々は、活躍されている分野がそれぞれ違うため、
一見、共通性がないように思えても、
話を聞いていると、
「なにをしているか」の部分は異なっていても
「なにを考えているか」の部分はとても似ていた。

「である」ことから「する」ことへと移行してきた社会的な価値観が、
一部の人たちの間では「である」ことへと回帰しているのが、
率直に感じることのできる瞬間だった。


特に印象的だったのが、火起師の大西琢也さんの講演で、
火起という一見、自分達には無縁の世界にいるような大西さんが、
「火」という自然が生みだしたものをたとえに、
「科学」がつくりだした世界の論理が絶対的になっていることへ警鐘を鳴らしていた。



普段、私たちは「火起師」という言葉を見ただけで、
自分とは関係ないやと、自分の世界に取り込むことを拒絶してしまいがちである。
しかし、なにを「する」かのところで価値判断をするのではなく、
なにを考え、なにを伝えようとしているのかまで踏み行ってはじめて
価値を見出していく必要があるのではないかと、考えさせられた瞬間だった。


これからの世界になにが必要か、なにが大切か
そこに気づいている人は、メッセージを発信し続けている。
その見え方が異なるだけ、見えていないだけではないか。

なにをしているか、に騙されない目を養うこと、
なにを考えているか、に目を向けること、
このShiftへの意識と、精度を高めていくこと、
まだまだ追求していかなければならない部分だと感じたイベントであった。


「すること」への価値判断
       ↓
「であること」への価値判断


これが現時点での回答。

そして、「であること」の自分自身の考えを固めていくことと同時に
それを他者へ訴える際の「魅せ方」も身につける必要性を強く感じた。


大西さんであれば、火起、
羽生さんであれば、将棋という
他者を惹きつける、魅了する武器を備えている。
伝えたいことを知ってもらうために、惹きつける武器。

それがないことには世間も関心を持ってくれない。
武器を手に入れるために今はなにをしなければいけないのか。
という「問い」がこれからの自分への課題で、
現時点での回答は、ありきたりだが、
アウトプットを増やしていくこと。

重要性を頭で分かっていても、
なかなか手が、口が動かなくなっていた。
アウトプットの量を増やしていくことで、いつか質が高まる瞬間がくると。
今はそう信じて、日々アンテナを張り巡らせて、感じたことをアウトプットしてくこと、
その積み重ねが、やがて大きな武器を手に入れるヒントをもたらすと信じて。



WorldShiftに参加するきっかけをくれた、関学の後輩・
グランドワークで出会った藤原さん・ハガレックスの平野さん、
ありがとうございました。