2011年8月22日月曜日

インフォーマルな地域教育



地元でいつも一緒にいる友達は、
保育園や小学校1年の頃から既に一緒にいて
保育園、小学校、中学校、高校とともに過ごし、
大学に入ってからも休みになれば大概一緒にいる、
気が置けない仲間である。
そして皆、賢くて鋭くて情報通なところも好きだ。

小さい頃から一緒にいたこの集団は
集団の中で目立つためには、周りよも秀でた一面を持っていることが
地位を確立する最短経路であって、
人が知らないことを知っている、
人が出来ないことをさらっとできる、
というのは集団におけるステータスで、
ある意味非常に排他的であった。

スポーツに詳しい奴、芸能に精通してる奴、
勉強は誰にも負けない奴、やたらと海外に詳しい奴、
暗黙的に互いにライバル視しながら
あいつには負けまいと武器を身に付けようとしていた。

それが数字として表れるものは更に顕著で
中学や高校での成績での成績はは
集団における序列を決定するのにも等しかった。

この環境は、自分の小中高を大きく左右する要因であったが
それらは親社会にも共通していたらしい。
この集団は、親同士も相当強い繋がりを持っていて、
子どもたちの成績や、塾の良し悪し、学校での素行など
一瞬にして情報共有されるから恐ろしい。
親社会においても子ども媒介として切磋琢磨される環境が整っていた。

(最近においても就職活動の状況は共有されていて
 「子ども」に聞かなくても、自分の親に聞けば友人の状況は大体把握できる)

更に友達の親も近い関係にあるので
挨拶や日常会話から、褒められることも叱られることも度々あって、
悪いことをすればすぐに噂は流布してしまうので、
見えない「監視の目」がそこかしこに働いていた。


当時は、子ども世界と親世界との相関性など考えもしていなかったが
子ども世界には見えない競争原理が存在し
それは親世界においても同様で、
親世界と子ども世界の間には監視の目が存在し、
子どもと親(家族内)においても、夕食の団欒の時間で
友達から、親仲間から手に入れた情報を共有するのは日課だった。


自分
友達
自分の親
友達の親
という四者がそれぞれに異なった機能を果たしていたと言える。
このように家庭教育とインフォーマルな地域教育がクロスするような環境で
自分自身は生まれ育ったんだなと今になって思う。

家庭教育の達成は勿論のこと、
ここでは目に見えない地域教育が特に重要な役割を果たしていたと思える。
子ども世界を形成するのは学び舎においては比較的簡単で、
親世界が形成されて、子ども世界とリンクするような関係性に持ち込むまでに時間がかかったはずだ。
そのあたりでは、うちの親はマメで、得意分野だったのかもしれない。
ひとたび形成することができれば、新たな世代が入ってきても
既存の関係性を利用することで「入っていく」ことのハードルは高くない。
子ども世界は排他的だが親世界はもう少し世界が広い。
(子ども世界の方が、いくつもの小集団に分かれている。)

更に言うと、この既存の関係性はSNSなどを通じて新たな局面を迎えており
子ども・親とも異なった別世界の形成を始めていて、
世界の拡大と、新たな世界と既存の関係性がリンクする場面もこれから増えていきそうな予感がする。


こういった魅力も、地元に帰ってくることを後押しする要因となっているのだ。

そして、昔から一緒にいた奴らが将来どこかでクロスする瞬間があったら面白い。
と想像せずにはいられない。



2011年8月15日月曜日

働くとはなにか



就職活動を行っていく中で、
「内定はゴールじゃない」
「内定をもらってからが真のスタートラインだ」
ということはよく耳にすると思う。

しかしそれが意味することについて、自分なりの解釈はできていなかった。

就職活動はめんどうくさい。
できることならやりたくない。
極力、努力はしたくない。
受ける企業は最小限で。
最小限の労力で結果をだしたい。
テクニカルな部分はある程度やれる。

それらの甘い甘い考えは、
就職活動に向けられたものであって、「働く」ことに向けられたものではなかった。
「働く」ことについての認識の甘さ、社会に出るということが持つ意味。
浅はかな僕の職業観は、初対面の人事の方にあっさりと見透かされていた。


働くとはどういうことなのか、


働くことへの「覚悟」をしないままここまでずるずるときた。
それに気付かせてくれたあの方にはとても感謝したい。
学生生活のなかで「決断」を下したときにはそれなりの覚悟をしていた。
それを別のシーンでも応用するだけの単純な作業。
ある意味では、型はまりな就活生は大きな覚悟を持って何十社も受けている。


さ、腹くくって面接に行こう。



2011年8月8日月曜日

世界報道写真展2011



世界報道写真展2011に行ってきました。
毎年開催されているそうですが、僕は今年になって初めて知りました。
もっと前から知っておけば良かったという一心です。


この写真展に行く狙いは、包丁を研ぐような作業に近く、
最近はテレビやネットの無味乾燥な表層的な「情報」にしか触れていなかったので、
ここにいけば普段感じていない「何か」を感じられると企んでいました。


そんな悪だくみをしながら写真を見て回っていても、あまり響いてこない。

異国の悲劇を目の前にして、理解の範疇を超えているのか、受け容れられないのか、
言葉に変換されないまま口が開いているのと眉間が引きつっている感覚がわかるだけだった。

そのなかでも、
メキシコの麻薬紛争
リオデジャネイロの発砲事件
ハイチ大地震
アフガニスタンの少女
には感覚が強くはたらいていた。

展示と並んで東日本大震災のスライドショーを上映しているコーナーがあり、
15分ほどのスライドが流れていた。
このスライドも悪だくみの一環で、何か感じるだろうと期待していた。




気付いたら泣いていた。




震災に関しては、直接的に被害を受けたわけではなく、
知り合いが亡くなったわけでもなかったので、
実感としての震災は僕の中にはなかった。
実際は、直視することを避け続けていた。
感情移入することはできなかった。


そんな「他人事」になってしまっていたものが、スライドを介して一気に入ってきた。
あのスライドを通じて、自分に思い入れのある街ともリンクした。

海岸に近い地元に津波が押し寄せたら、
あのスライドのまま、生まれ育ったまちはなくなってしまうだろうな。って。
自己中心的な考えだけれども、何かしらのリンクがなければ
エールを送ることも感情移入することもできないよ。


世の中で起きているニュースは、
自分と関連付けることができなければ実感のない「他人事」のままなんだなって。
それは、ニュースを拾い集める作業と、関連付ける「自分」を拡げる作業のどちらも重要なわけで。


「喪失体験」は、人を突き動かす大きな要因であって、誰しも抱えている部分なんだよね。
それは、「何を大切にして生きていくのか」とも近くて、
生きている意味って言ったら臭すぎるけど、
それを明確にしていく作業は忘れてはいけないと思う。



報道の持つ意味も再考させられた。
この写真展は、どの部分を切り取っているかは別として、ありのままを写していた。
普段は無意識的に報道というより一種の「ショー」を見せられている。
報道の価値は、その報道を自分自身のなかで解釈して関連付けられてはじめて意味を成すんだなって。
そして必要な情報は自分でキャッチしなければならない。
更に言うなら、報道の真偽を確かめたければ自分の目で見に行かなければならない。
情報の海の中で報道を自分で精査できるようにならないと。
それができないことの恐ろしさって、考えただけでぞっとするよ。


World Press Photo のサイトで写真を見ることはできるが、


このサイトは事後的に見直すことに使うほうが効果的。
時間があればぜひ見に行ってほしいです。
8月9~18日は梅田で展示されています。



文字情報で伝えられることって本当に僅かで
表現方法として写真や映像を使用する人は、そういった魅力を感じて
媒体として選んで情報伝達しているんだなって。


何を大切にして生きていくのか、を考えさせられた写真展でした。