地元でいつも一緒にいる友達は、
保育園や小学校1年の頃から既に一緒にいて
保育園、小学校、中学校、高校とともに過ごし、
大学に入ってからも休みになれば大概一緒にいる、
気が置けない仲間である。
そして皆、賢くて鋭くて情報通なところも好きだ。
小さい頃から一緒にいたこの集団は
集団の中で目立つためには、周りよも秀でた一面を持っていることが
地位を確立する最短経路であって、
人が知らないことを知っている、
人が出来ないことをさらっとできる、
というのは集団におけるステータスで、
ある意味非常に排他的であった。
スポーツに詳しい奴、芸能に精通してる奴、
勉強は誰にも負けない奴、やたらと海外に詳しい奴、
暗黙的に互いにライバル視しながら
あいつには負けまいと武器を身に付けようとしていた。
それが数字として表れるものは更に顕著で
中学や高校での成績での成績はは
集団における序列を決定するのにも等しかった。
この環境は、自分の小中高を大きく左右する要因であったが
それらは親社会にも共通していたらしい。
この集団は、親同士も相当強い繋がりを持っていて、
子どもたちの成績や、塾の良し悪し、学校での素行など
一瞬にして情報共有されるから恐ろしい。
親社会においても子ども媒介として切磋琢磨される環境が整っていた。
(最近においても就職活動の状況は共有されていて
「子ども」に聞かなくても、自分の親に聞けば友人の状況は大体把握できる)
更に友達の親も近い関係にあるので
挨拶や日常会話から、褒められることも叱られることも度々あって、
悪いことをすればすぐに噂は流布してしまうので、
見えない「監視の目」がそこかしこに働いていた。
当時は、子ども世界と親世界との相関性など考えもしていなかったが
子ども世界には見えない競争原理が存在し
それは親世界においても同様で、
親世界と子ども世界の間には監視の目が存在し、
子どもと親(家族内)においても、夕食の団欒の時間で
友達から、親仲間から手に入れた情報を共有するのは日課だった。
自分
友達
自分の親
友達の親
という四者がそれぞれに異なった機能を果たしていたと言える。
このように家庭教育とインフォーマルな地域教育がクロスするような環境で
自分自身は生まれ育ったんだなと今になって思う。
家庭教育の達成は勿論のこと、
ここでは目に見えない地域教育が特に重要な役割を果たしていたと思える。
子ども世界を形成するのは学び舎においては比較的簡単で、
親世界が形成されて、子ども世界とリンクするような関係性に持ち込むまでに時間がかかったはずだ。
そのあたりでは、うちの親はマメで、得意分野だったのかもしれない。
ひとたび形成することができれば、新たな世代が入ってきても
既存の関係性を利用することで「入っていく」ことのハードルは高くない。
子ども世界は排他的だが親世界はもう少し世界が広い。
(子ども世界の方が、いくつもの小集団に分かれている。)
更に言うと、この既存の関係性はSNSなどを通じて新たな局面を迎えており
子ども・親とも異なった別世界の形成を始めていて、
世界の拡大と、新たな世界と既存の関係性がリンクする場面もこれから増えていきそうな予感がする。
こういった魅力も、地元に帰ってくることを後押しする要因となっているのだ。
そして、昔から一緒にいた奴らが将来どこかでクロスする瞬間があったら面白い。
と想像せずにはいられない。