2010年8月9日月曜日

僕が生きる意味

僕が生きている意味。
それは自分の中に存在するものではない。

人間は社会における関係性のなかでのみ生き延びることが出来る生き物。
そのなかで喜怒哀楽を繰り返して生きている。
社会(広義においても狭義においても)がなければ生きられないのであるから
僕の中に生きる意味が完結してしまっていては、社会は不必要になる。


僕が生きる意味。
それは、あたなである。
あなたは、あたなでもあり貴方でもあり貴女でもあり社会でもある。
あなたの中に、何らかの形で僕が生きている意味があれば、
それが僕の生きている理由になる。

まー、当たり前のことですがww

例えば、僕にも様々な肩書があります。
息子であったり、弟であったり、親戚、近所の人、
友人、恋人、顔見知り、静岡人、日本人、地球人

そういった様々な立場のなかで、あなた(達)と生きている。
その中で、常にあなたが僕を必要としてくれているのなら、それはとても喜ばしいこと。
否、立場の関係の人であっても、僕が必要とされる理由を生み出さなくてはいけない。
そうでなければ、僕が生きている意味はない。

それは、僕もあなたも同じだとは思いますが。。。。

どんな状況でも、前を向いていかなきゃいけないんだよ。
知らなくて良かったことなど一つもないさ。


んーー、やっぱし捻くれてますな!性格が。


ということで、僕から以上!

僕、誕生物語。

現在20歳の僕。

生まれたときは、結構大きかったらしい。
2歳のときに食物アレルギーにかかった。
KFCを初めて食べたとき、全身が腫れあがったそうだ。
親は人一倍、食べ物には気を遣ってくれていた。

幼少期から今まで、体は華奢だった。
小学校のときは、いじめられっ子というかいじられっ子というか
しかし、よく友達の弟とかに泣かされていた。
姉にもよく泣かされていた。

小学生は、腕っ節の強い人がクラスで力を持っていた。
喧嘩では、到底かなわないから、力のある人に付こうとしていた。
スネ夫だww
力のない人間は、うまく付き合うことで生き残っていくしかなかったんだ。

中学校、高校においても距離感は大事だった。
クラスの誰からも好かれたいと思っていた。
僕がクラスの人々にアピールできることは、
今の自分が強みとしていることと大して変わらない。

僕が今の僕でいることの原点は、体が華奢であったことに帰結している。
あとは、僕を取り巻いていた環境にある。
僕は僕の積み重ねで今現在の僕がいるんだな。


人間のなかでどう生き延びていくかが
これまでもこれからもテーマ。