2011年4月8日金曜日

変わったのか、変わっていないのか

2011年3月11日

昼くらいに起きて、ベッドでぼーっとテレビを見ていた。
緊急地震速報が画面の向こうから流れた
たかだか10秒くらいの間にできることなんて何があるんだろ
ガスの元栓でもしめようかと思っていたところ
地面がスライドを始めた

まっさきに壁掛け時計が落ちてきた
必死で本棚が倒れようとしているのを押さえた
本棚の上に置いてあったものは頭の上に落ちた
液晶テレビも飛びそうだったから片手で押さえた
画面の中では、アナウンサーが何か言ってる側で
椅子が画面を横切っていた

心の中で、
頼むからおさまれ
これ以上大きくなるな
本棚もうちょいがんばれ
と叫んでいた

その約1分の間で「世界」が変わってしまった

NHKをながめてると、まちが海に飲み込まれていた
理解の範ちゅうを超えた映像がずっと流れていた

あの一日で、
何なんだよ
と幾度となく叫んだことか。



あれから「世界」が変わってしまった


被災地とまでは言えない千葉市でも
まちの動き、まちゆくひとの会話
3月11日を境に変わってしまった。
やがてまちの明かりも消えるようになった


やがて人の動きも変わった
駅前で募金活動をする学生
ネット上で支援を募る人々
駅のホームで電車を待つサラリーマン
停電に翻弄される住民


しばらくして風潮にも変化がきた

不謹慎、自粛という言葉を聞かない日はなくなった
相変わらず声を上げて募金を呼びかける学生
テレビからは、がんばろう、ひとつになろうの文字


変わってしまった変わってしまった変わってしまった。


しっくりこない
この変化についていけてない
なんでこんなにも人の動きは変わるの?
なんで学生は募金をしているの?
なんで学生は募金活動をしているの?
君たちは何と闘っているの?
大自然の脅威?
自分自身の心理?
世間の風潮?
履歴書の活動履歴?
誰のため?
被災者のためにって、それは誰かにそう言われたの?
あなたの日常はどこにいったの?


こんな疑問を持つことすら「規制」されてしまった気がする。



被災された方、親族や友人が被害に遭われた方、
その哀しみの前に、無事であった僕達にできることなどない
哀しみが癒えることなんてない
「これからも大変だと思うけど、頑張っていこうね」
なんて言葉で気休めになるはずがない。



「世界」は変わった。
いや、変わったように見えているだけかもしれない。
目に映るものが変わっているだけなのかもしれない。


世界はちっとも変わらない

違う。



このままじゃ、世界はちっとも変わらない




3月11日を境に、変わってしまった日本が
いつか振り返るときにターニングポイントであったと言えるように。
いつか、この言葉たちが不謹慎と言われない日が来るまで。
いつか、目に映る世界だけでなく
「世界」が変わったと言える日が来るまで。



日常を生きよう。
日常を生きて、「世界」を変えよう。





東北に住む大切な友達とまた会える日を楽しみにしています。



最後になりますが、
この度の震災でお亡くなりになった方々のご冥福をお祈り致します。

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